永井荷風も、パリに到着するや否や、モンソー公園のモーパッサン像(写真)に「参拝」している。荷風の短編にはモーパッサンの影響とみられる作品が多い(「勲章」「買い出し」など)。社会に対するシニカルな見方に共通するものがあった。ギ・ド・モーパッサン - Wikipedia: "ギ・ド・モーパッサン(アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de Maupassant)、1850年8月5日 - 1893年7月6日)は、フランスの自然主義の作家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。20世紀初期の日本の作家にも、影響を与えた。"
彼の生活:
1883年、33歳のときの『女の一生』は、レフ・トルストイにも評価され、3万部を売り上げた。エトルタに別荘を構えた。1885年、南仏アンティーブに別荘を買った。1886年、ヨットを持った。活発な執筆出版活動のかたわら、旅を重ねた。海浜に育って、水の遊びを好いた。婦人との交友はあったが、結婚はしなかった。目はますます悪くなった。
1888年、38歳、不眠が募った。変人ぶりが目立ってきた。1889年、麻酔薬を乱用した。この年のパリ万博に建ったエッフェル塔を嫌い、眺めずに済むからと、塔のレストランで食事した。1891年、発狂が疑えなくなった。1892年、自殺未遂を起こし、パリ16区パッシー(Passy)の精神病院に収容された。
1893年、43歳、その病院で没し、モンパルナス墓地に葬られた。
モーパッサンもヨットを持っていたのだ。当時からヨーロッパではちょっと余裕が出来ると海辺に別荘とヨットを持つ人が多かった。日本の海岸線は世界でも有数の長さがあるのに(世界5位?)、いまだにセーリングは少数派の遊び。最近は若者離れがひどくますます高齢化が進んでいる。バラマキ公共事業のおかげで日本の海岸線はコンクリート堤防と岸壁ばかりになってしまったからである。
そのコンクリートだらけの日本で、一番「自然」が残っているのは、海の上。だれからも干渉されない。セーリングはもっと見直されてもいいんじゃないか。おいらのセーリングブログはここ。面白いよ。
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